〜アクションを書く時の心得〜
その二、良い悪いの価値観〜PCへの想い 気がついたら、私の前には壁がありました。その壁は、それほど高くもなく、かと言って低いとも言い難い曖昧な高さでした。あとちょっとで越えられる……次こそ越えてみせる……それが、私の意欲を駆り立てました。それが、アクションを書こうという活力の一部でした。 ですが、最近、ちょっと気が付きました。『越えよう』とする意識は、私にとってはかえって障害になることを……つまり、障害があればあるほど燃えるという衝動へと繋がります。こうした思考の流れは、一見すると良いものに見えてしまうこともあります。かと言って、極端に悪いという訳でもありません。どうやら、私は『良い悪いの価値観』に、ひっかかっていたようです。 ここで言う『良い悪いの価値観』というのは、良心とか常識とか、道徳、倫理といった類のものではありません。私がひっかかっていた部分は、『良いと悪いの中間地点』でした。かと言って、中庸でもなく、善悪の中間という意味でもありません。では何かというと、私自身が物事を捕えようとする時の『曖昧さ』でした。だからと言って、優柔不断という意味でもありません。『良いもの』と『悪いもの』……それを明確に区別することへの憤りとも言い難い、もどかしい気持ちが見つかりました。 良い悪いを全部ひっくるめて融合させて、どちらが正しいのかという明確さを無くし、本当に価値あるものを見つけたいという願望があるにも拘わらず、正しいとか、間違ってるとか、そうした判断を無意識にしてしまう思考の流れ……つまり、願望と思考とのギャップに、もどかしさを感じていたのです。 第2回Bエリア・リアクション第一部の冒頭を読みましたら、上記のような想いが浮上してきました。私はまた、他のPCさんに助けられてしまいました。何か困ったことがあると、丁度良いタイミングで、同じブランチに参加している他のPCさんたちのセリフや行動で、ハッと気が付くことがあります。AUQに限らず、過去に参加していたゲームでも何度かありました。 思い返してみると、第0回アクションには、プレイヤーの個人的な願望も入っていたようです。答えのヒントは、すでに自分で書いていたのですが、かえって盲点となり、今まで自分の願望に気が付きませんでした。→第0回アクション【動機】参照 PCさんたちの言葉と行動には、ある程度マスターの脚色も入ってしまいますが、リアクションが盛り上がるのは、やはりアクションがあってこそ……つまり、PCさんたちがいるからこそ、物語を組み立てていくことができるはずです。そして、PCさんたちのおかげで、私は自分自身の問題に気がつくことができました。 そのせいか、私は自分のPCよりも、他のPCさんたちに対する想いが強くなりました。自分のPCより、他のPCさんの方が好きなのです。これって……悪いとはいかないまでも、良いとも言い難い、またもや曖昧な感情が出てきました。出てきたというより、すでにあった感情を再確認したという感じでしょうか……。そうした自分の曖昧さを公の場(不特定多数の人が見るようなホームページも含む)で明確に表現するのを躊躇い、今までは仄めかすような表現ばかりでした。(プライベートでは、かなり盛り上がっております) 他のPCさんたちに夢中になり過ぎて、自分のPCに対する興味が薄れてしまうというのは、なんだか大切なものが欠けているようにも思えたのです。とか言いながらも、ある程度は私も自分のPCは大切です。大事なことに変わりは無いのですが、PBMを始めた頃と比べると、自分のPCに対する興味が薄れてきたというのも事実です。要するに、私は自分のPCを溺愛することができないのかな〜と自問してみましたが、ちょっと違和感がありました。と言うことは、溺愛か否か、という側面とは関係ないみたいです。 となると、私にとって『自分のPC』というのは、何なんだろう?……という疑問が出てきました。単に楽しいだけでは、PBMを止めていたようにも思います。楽しいだけではない、自分でも気が付いていない部分で、きっとPBMに共鳴しているようにも感じます。自分でもよく分からないので、答えようがありませんが、自分の中にあったモヤモヤしていた気持ちが、ようやく浮上してきました。もうしばらくPBMと関わって、『自分のPCに対する想い』を明確にしていきたいと、ふと思いました。 PBM歴10年にして、ようやく辿り着いた境地は、『私にとって、自分のPCってなんじゃらほい?』でした。 |