PBMの心得

〜PBMについて考えてみよう〜


その六、PCとNPCの価値観〜RPGの本質


『その五』において、説明不足な部分がありましたので、補足させていただきます。メイルゲームをプレイする上において、『PCさんたちが主役、NPCは脇役に徹するべきだ』というのが基本なんですけども、だからと言って、NPCはPC以下だと言う意味ではありません。『命』として考えるならば、PCもNPCも平等ではないかとさえ思っています(少なくとも、私はそういう考えです)。私自身は、名も無き一般人NPCも『一人の人間』として見ています。そういうことを踏まえて判定されているならば、納得はできますが、何も考えずに判定している場合は……『人として、どうよ?』と感じるんですよ。


メイルゲームは、家庭ゲーム機のRPG(オンラインゲームも含む)とは『似て非なるもの』です。例えとして、メイルゲームは『先生と生徒のやり取り』、家庭ゲーム機のRPGは『テレビと視聴者』の関係として見てみると、より分かり易いと思います(あくまでも『例え』です。そのまま当て嵌めて考えるという意味ではありません)。RPGの歴史を遡ると、実は……心理学の『心理劇』に辿り着きます。つまり、RPGというものは、本質的に『人間教育』なのです。だからと言って『遊び心』を忘れてはならないと思います。要は『バランス感覚』です。『人間教育』と『遊び心』が上手く融合した時、『何か』が出てきます。その『何か』とは人によって様々ですが、『その人にとって、今一番必要なもの』が浮かび上がってきます。その点を忘れると、大変なことになってしまいます。


私にとっては、PCさんたちも、NPCたちも、名前の知らない一般人NPCも『その世界で生きている』というのが前提でして、道具だとか駒だとか、そういう発想でメイルゲームをやっている訳ではありません。見えないけれど、大切なものを表現するためにメイルゲームをやっているんです。私にとって、『メイルゲーム』というのはゲームに似ているけれども、ゲームではないのです。やはり基本は『人と人との交流』だと思います。


蛇足ですが、私は時折、家庭ゲーム機のRPGもプレイしておりますが、『内容によっては、すごく面白いものもある』と思っています。むしろ、そうしたRPGにも、『本質的なもの』を取り入れている作品がかなりあります。『ドラゴンクエスト・シリーズ』『ファイナルファンタジー・シリーズ』『天外魔境シリーズ』は学生時代にかなりやり込んだ方ですし、ゲームの話題がきっかけで友人もできましたし。だからこそ余計に、ゲームだからと言って毛嫌いしてはもったいないなぁと思っております。


つまり、大人たちが『RPGの良さ』を真の意味で理解して、子供たちに『大切なもの』を伝えていくこともできるのです。『何か』を良くするのもダメにしていくのも人間なんです。『何か』ではありません。『何か』を『RPG』に置き換えても、意味はそれほど変わらないと思います。【2005.7.3.】

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