■2005年5月5日
AUQとはあまり関係の無い話ですが、なんとなく思いついたことがあるので、書いてみようと思います。 私から見ると、どうやら『人間』と言うのは『問題を作る』のが好きらしいです。『問題』を発生させている原因は、まず第一に『自分自身』にあることはなんとなく分かるのですが、『問題を複雑化させる』ことによって、その原因を隠そうとしているようにも感じます。『根本的な原因』が他人に明かされるのが恐い……要するに『見たくない』のかもしれません。『今の自分』を知ってしまうと、自分がいかに愚かであるのかが見えてしまう……知ってしまえば、なんてことは無いのですが、『知る前』が恐怖なんです。それはもう、身の毛がよだつほどに。 『原因』と言うのは『ぼんやり』しているから、化け物のごとく恐くて恐くて仕方が無いのです。その恐怖から逃れるために、他人を責めたり、馬鹿にしたり、自分が一番偉い存在なんだと勘違いしているとも見て取れます。そうした『勘違い』は、その人の言動として『如実に』現れているのですが……ある程度は、見逃されてしまいます。他人の勘違いを指摘すると、反撃されると本能的に感じているせいかもしれません。反撃されれば『痛い』からです。 確かに『痛い』ことに代わりはないのですが、冷静になって『相手の言動』を見てみますと、『その人の内面が、大人か、ガキか』というのが見えてきます。『大人』だったならば、何らかの意図があって反撃しているはずです。『ガキ』だったならば、『自分を守るために』反撃しているに過ぎず、相手のことまで考える余裕が無いだけなんです。念の為ですが、『子供』というのは本当に素直で純粋だと思います。そうした『子供』を食い潰そうとするのが『ガキ=欲深いザコ魔族』です。要するに、弱い者虐めが好きなんですね。と言うか、『子供』を弱い者だと決め付けて攻撃している訳で……情けないですね。 さらに余談。『家族愛』と言うのは、五分五分だと考えると、そこですでに躓いてしまうと思います。『親』は子供のために精一杯愛情を注ぐ存在だと……それを強制するのも良くないですし、『そうした考え』が障害となって悪循環になってしまう場合もあります。何故なら、『家族』と言うのは、それぞれ『違う方針』で構成されているからです。事情も違えば、環境も違うし、国によって生活習慣も異なります。そもそも『理想的な家族』なんてものは、単なる幻想に過ぎませんし、何のトラブルも無い家族は、かえって妙では無いか?……と疑問に感じてしまいます。だからと言って、どうしようも無い場合を除いて、他人が口出すことでは無いのですが。『見過ごすとヤバイ』場合は、やはり何らかの手段で伝えた方が、かえって皆のためになると思います。 こんなことは今に始まったことではなく、遥か昔から、それこそ古代から延延と行われている訳で……この繰り返しによって、『世界は息衝いている』とも言えます。おそらく『世界』と言うのは人間が考えたり、感じたりしている以上に、懐が大きいのではないかと思っています。大きいと言うより、『浸透している』といった方が良いのかもしれません(少なくとも、私はそう思う)。 |